遺伝子とミーム遺伝子とミーム


はじめに

ミーム論者って、ミーム論をやった後に黙りこくる癖があるんじゃないかな、と思ったのだ。名だたるミーム論者は、今は何も喋ってはいないか、全然別のことをやっている。かく云うあたしもこのざまだ。イントラネット論もブログ論も各論に終始している。

これはまずいんじゃないのか、とふと思ったのだ。

なにがまずいのか。そう、あたしが元気な時代に話しを少しでも聴いて、また賛同してくれた人達は良いとして、次世代の人達に何も残してないのではないのか、ということだ。先月、空知に行ってそれを痛感したのだ。

あたしがこの仕事を始めた頃、あたし達は皆跡取りだった。多くは先代が健在だったのだ。先代の古い考えと闘いながらあたし達は生きてきた(つもりだ)。

インターメット社会あれから10年以上の歳月が過ぎ、子供だった跡取り達も今や立派な経営者になろうとしている。そんな今、公共事業を取り囲む環境はどうだろう。

あたし達はインターネット社会に希望を持って生きている予定でいた。

しかしだ、公共事業を取り囲む環境はアベノミックスで持ち直しはしたものの、その後は年々厳しくなっていくばかりだ。

こんな時に、あたしに何ができるのだろう、と思った。そこで、あたしの持っているIT化理論を見直して見たのだ。

すると「ミーム論とIT化」というものが見えてきた。「IT化」が扱う情報の情報の主体は「ミーム」なのである。みんなこれを忘れていやしないだろうか、と。

そこで今でも使える「ミーム論とIT化」を、今の言葉で、分かり易く伝えたらどうだろう、と思ったのだ。ここに掲示してあるPPTは2004年のものであるが、今でも使えるものばかりである。

うまい具合に、あたしの脳梗塞の後遺症も最小限で済んだ。つまり、ようやくだが、書けるようになってきたのだ。しかし10年以上も前の理論である。これが受け入れられるかどうかは甚だ疑問だなところもある(ミームとしてはかなり弱い)。しかし、新しいカテゴリーもつくったことだし、やるだけやってみようと思うのだ。

「IT化」が扱う情報の情報の主体は「ミーム」である