ゴジラ_キング_オブ_モンスターズゴジラ キング オブ モンスターズ


ゴジラ キング オブ モンスターズを観てきた

午前5時起床。浅草は晴れ。映画館で映画を楽しむのは最も安上がりな非日常体験(アジール)なのだが、かつての映画の街浅草に映画館がなくなり、錦糸町の楽天地まで出掛けてきたのだ。浅草は映画の街だったが、かつての面影が微塵もないのは寂しい限りだ。

しかし、そういうあたしも、映画はとんと観なくなった。先に観たのが「シン・ゴジラ」だったのだから、それは2016年の事。約3年ぶりで映画館にいったのだ。観た映画は「ゴジラ キング オブ モンスターズ」だった。二作続けて「ゴジラ」とは、まったくこの人は何を考えているのかが分からない。

でも、それでいいので有る、あたしの人生は「ゴジラ」(否「円谷プロ」と云った方がよいかもしれない)と共に有るのだ。

「ゴジラ」映画は、「ゴジラ」が動けばよい、というのが基本的スタンスのあたしだ。勿論、どんなキャラクターでも全て許すし、ハッキリ云ってドラマ部分は2次的なものとして諦めている。そんなあたしが、今までで一番困ったのは「シン・ゴジラ」だった。

それは唯一感情移入ができないものだったのだ。だから今でもよく分からない。

今回の「ゴジラ」はその点は心配無用である。何と云ってもハリウッド製である。「ゴジラ」はちゃんと動いていたし、それも意外だったことに、あたしの記憶をなぞるようにである。記憶の中のゴジラが次々と出て来る。つまり「ゴジラ」愛に溢れた作品になっていた、と云ってもよいだろう。

監督は誰だかわからないが(すまん)、しかし、この監督は「ゴジラ」映画が好きなんだ、ということはビンビン伝わってくる(ついでに云うと「ガメラ」も好きなんだな、と思う)。

それは「ゴジラ」と「モスラ」のテーマソングに表れている。「ゴジラ」が復活してくるときや、「モスラ」が繭からで成虫(?)の姿になって出て来るときには、例のテーマソングがちゃんと流れてくるのだ。これは古くから「ゴジラ」シリーズを観てきた人間にはたまらない。

この瞬間だけでもこの映画を観る価値がある。これがハリウッドの映画だということを忘れさせてくれる瞬間だった。しかし、作品はやはりハリウッド製である。血湧き肉躍るハリウッド映画である。あたしは、そのハリウッド映画に「ゴジラ」がちゃんと出ていることが何より嬉しいのだ。