食べさせられていたとうもろこし
午前3時40分起床。浅草はくもり。「とうもろこし」をスーパーで買って来た。子供のころは爺さんが「とうもろこし」を作っていたので、夏の間はあたしもよく食べていた、と云うよりも、食べさせられていた。それこそ1日5本も6本も「とうもろこし」だった。それは爺さんがいなくなっても続いていた。
「とうもろこし」は別に出荷するわけではなく、ただ山ほどの「とうもろこし」があったのだ。だから収穫してしばらく経ったものなど、現在の「とうもろこし」の甘さから見ればとても「とうもろこし」とは思えないようなものもあった。けれどその甘さを求めて食べ続けていたのだ。
ただ、あくまでも「とうもろこし」は食事の合間に食べるというものとしてだ。決して主食では食べない。だから子供の頃のあたしはただ太っていた。それは自分に課せられた運命をだったのだろうが、あたしはこの歳になっても「とうもろこし」が好きだ。
進化論的に当然の結果
そして、糖尿病になって、あまり「炭水化物」をたべちゃいけませんよ、と云われているのに、これだけは止められない、とばかりに食べているである。世の中には、「とうもろこし」はダイエットによいとか糖尿病にも悪くないなんていう人もいる。でもそんなことがあってたまるか(笑)、なのである。
「とうもろこし」は食べれば太るし、糖尿病患者が食べれば身体には良くないのである。その身体に悪いものは非常に甘いのだ。最近の「とうもろこし」はやたらと甘い。甘いものが売れるのであれば、それは進化論的に当然の結果だろうが、記憶にあるあの爺さんが作っていた「とうもろこし」を食べたいと思う今日この頃なのだ。