米久の牛鍋
午前4時起床。浅草はくもり。「米久本店」に牛鍋を食べに出掛けた。久しぶりの贅沢である(笑)。
この日は、北海道から吉川さんが来ていて何やら勉強会。時刻は5時近くなり、それで夕餉を外で食べることにしたのだ。
ドンドンドンへ行こう!(笑)
「ドンドンドン」とは店中に何人の客かを知らせる太鼓の音である。米久では、玄関で下足を脱ぐ。ドン、ドンと太鼓の音も朗らかに、座敷に案内されるのだ。
ただ、もう一つの理由があった。それは吉川さんとウチの息子の誕生日が1日違いで、それも今月の前半、それじゃお祝いにしようというのである。
この日は2階に上がって食べたのだが、椅子に座って食べるスタイルになっていてちょっと驚いた。コロナウイルス対策で座席を空けているようだけど、同じ鍋をつつくのにウイルス対策も何もあるわけないよな、と思う(笑)。
「米久の牛鍋」と云えばこれに限る。そう「高村光太郎」の「米久の晩餐」だ。これを読むと、当時の賑わいが尋常でなかったことがヒシヒシと伝わってくる。
はやくこのような日々が戻ってくれることを心から願いながら、あたしも「牛鍋」を食べたのだ。[浅草グルメ]
ぎつしり並べた鍋台の前を
この世でいちばん居心地のいい自分の巣にして
正直まつたうの食慾とおしやべりとに今歓楽をつくす群衆、
まるで魂の銭湯のやうに
自分の心を平気でまる裸にする群衆、
かくしてゐたへんな隅隅の暗さまですつかりさらけ出して
のみ、むさぼり、わめき、笑ひ、そしてたまには怒る群衆、
人の世の内壁の無限の陰影に花咲かせて
せめて今夜は機嫌よく一ぱいきこしめす群衆、
まつ黒になつてはたらかねばならぬ明日を忘れて
年寄りやわかい女房に気前を見せてどんぶりの財布をはたく群衆、
アマゾンに叱られて小さくなるしかもくりからもんもんの群衆、
出来たての洋服を気にして四角にロオスをつつく群衆、
自分でかせいだ金のうまさをぢつとかみしめる群衆、
群衆、群衆、群衆。
牛肉(特)
特の脂がちょっと強いかなと思ったが
たべればどっおてことはなかった
米久本店
東京都台東区浅草二丁目-17-10