操『操』 岡村 靖幸


岡村 靖幸

午前4時起床。浅草は晴れ。緊急事態宣言が出されようとする朝だ。この歳になって初めて聴いた人、それが「岡村 靖幸」だ。遡ること2019年12月23日の朝日新聞の朝刊に載った、「岡村 靖幸」のニューアルバムの全面広告を見たのがはじまりだった。暫くこの絵を見ていて、この絵の作者が「会田 誠」だったことに気がついた。

』と題されたその絵を見たとき、初めて会田の作品を見たときの驚きとは違った思いがあった。その思いとは「会田 誠」らしくない絵なのだ。何と云っても毒がない。そして「会田 誠」のインタビュー記事が出ていた「BRUTUS 4/1号」を購入した。『会田誠が描く、岡村靖幸という「光」。』と題されたインタビュー記事を読んだりしていたのだ。

『操』

4月3日にポストに届物が届いていた。袋を破くと小さなCDだった。ケースに収り「会田 誠」の絵があった。「岡村 靖幸」の『』だ。「毒がない」と書いたけれど、CDのジャケットとしてはよくできた絵だ、と思いながらCDを聴いた。「成功と挫折」でスタートする。なるほど「岡村 靖幸」がいた。

「インテリア」、「ステップアップ LOVE」(「DAOKO」との共演)と続くが、この3曲の繋がりがこのCDの一つの山だな、と思った。格好いいのである。その後「セクシースナイパー」「少年サタデー」と続く。この2曲は先に購入したシングルCDで聴いていたものだが、「少年サタデー」は「アース・ウィンド・アンド・ファイヤー」の「セプテンバー」を思わせて嬉しくなる。

そして素晴らしファルセットを聴かせる「遠慮無く愛してよ」、「マクガフィン」(「岡村靖幸さらにライムスター」名義)、「マイケル・ジャクソン」の曲を思い起こさせる「レーザービームガール」、最後を飾るミドルバラッド「赤裸々なほどなやましく」で終わる。格好いいのである。

短い期間だが、「岡村 靖幸」の作品は一応(というか一気に)聴いたつもりである(その中でも若い頃につくられた『家庭教師』は素晴らしかった)。そして今の「岡村 靖幸」がいる。それはけして若いわけではない(いや、むしろ年寄りだろう)彼の「毒」が抜けかけた作品がある(とあたしは思った)。

「毒」がない。このれは褒め言葉としてはよいのだろうか(とあたし自信も分からないのだ)。会田の作品の毒の無さ、そして岡村の作品の毒の無さ、でも世間一般でいう良い人ではない(と思う)二人が創った作品がこれだ。一体どう考えればいいのか、まだあたしのような年寄りにさえ分からないのである。

操:画:会田誠操:画:会田 誠