鈴音
午前3時起床。浅草はくもり。この日は土用の丑の日で、毎年恒例の、五丁目にある「鈴音」へ出掛けたのだ。今年はお金はおろしたが、普段余り持たない現金にビビっているあたし(笑)。「鈴音」の「うな重」は今年は幾らなのだろう、と相変わらずの心配症なのだが、まったく身体に良くない丑の日なのだ(笑)。
着けば早速中に入れてもらう。あたし達が行った時は2名のお客さん小上がりにいた。去年からか、コロナ禍の中、営業はもっぱらお持ち帰りにしているようで、中で食べる人は、あたしらの後から来た人を含めて9人という寂しさだった。けれど外では若い女の子が声を上げている。賑やかな雰囲気だった。
うな重
今年はビールはない、あるわけがないのである。正直寂しい。このあるわけがない、が通常になってしまうというのは、なにも「鈴音」に限らず、なんだかなー、なのである。それでも「うな重(特上)」を頼む。「肝吸い」付きである。見てくれこの「うなぎ」の様相を。垢抜けない「うなぎ」が重箱の端から端へと横たわる。
しかし「鈴音」はそれがいいのだ。上品なうなぎなら「池之端 伊豆榮」がある。あの非日常性と「宇名とと」の日常の丁度間に「鈴音」があるのだ。だから年に1度、丑の日にしか行かない(笑)。そして、なぜか「吉田屋」の「鰻丼」を想い出していた。
「吉田屋」は若い頃お世話になった郡上の鰻屋だ。江戸のうなぎと比べると怒られるが、蒸さずにそのまま焼いた「うなぎ」だ。なぜか「鈴音」のうなぎを見ていらだ妙に食いたくなって家人に話すと、「郡上にも行ってないわね」だと。郡上処か何処にも行けない非常事態宣言中の東京都民なのだ。
極地的高血糖
さて、甘いうなぎをこれでもか、と食べる。ご飯は半分を食べ、残りは家人のモノだ。それはまるで「うなぎのタレご飯」なのだ(笑)。家人はあたしに「蒲焼き」を6分の1寄越してくれた。あー「うな重」のなんてうまいことか。これもご飯があってのことだ、とつくづくと思う。
しかし、心配は翌朝なのである。確り血糖値は高く今月最高の値だった(笑)。それは当然のことで、甘いうなぎとご飯である。それもタレが掛かっている。だから「うなぎ」は滅多に食べれないのだが、血糖値を図り始めてもう13年である。この極地的な高血糖にも慣れてきたのである。[浅草グルメ]
鈴音
東京都台東区浅草五丁目56-9