野生の思考
ここ数年この時期になると、なぜか『野生の思考』を読んでいる。その周期性に例外はなく、今年もそれを読んでいた。Webと社会のこと――つまり人間の営み――を考えているにしても、私の眼鏡(方法)は、『野生の思考』を必要としている。
それは時々はそこに戻ってそこから帰る一つの中心である。そこを夢み、そこへおもむきそこから取ってかえす、一口にそこで己を発見する一つの完全な場所である。つまりこの本は(私にとっては)子宮的構造の中心なのである。
|
野生の思考
クロード・レヴィ=ストロース(著)
大橋保夫(訳)
1976年3月30日
みすず書房
4800円+税
|
続きを読む
午前8時起床。浅草はくもり。
ウェブ人間論
『ウェブ人間論
』は、読み通しての全体の印象はなにか曖昧なのだが、パーツ的には、なぜか気にかかる考え方やフレーズがある。例えば今日紹介する平野啓一郎によるブロガーの5分類もそんなものだ。それを要約すれば以下のようになるだろう。(平野啓一郎:『ウェブ人間論
』:p72~73)
平野啓一郎によるブロガーの5分類
続きを読む
午前7時起床。浅草は晴れ。
生きても死んでも大差ない
最近、『41歳からの哲学』を再読していて、、ネットで調べ事をしていたら、著者である池田晶子さんが先月23日に逝去されたことを知った。ご冥福をお祈りしたい。
彼女は、常々「生きても死んでも大差ないと思っている」と言っていた人だ。
私はもともと命根性が薄い。生きても死んでも大差ないと思っている。それは、実際に、生きても死んでも大差ないからであるが、言ってみれば、いつも何か地球を天空から見下ろしているような感じなのである。ここから見ると、自分の人生も人類の運命も、宇宙生成の一コマみたいにしか見えないのである。(池田晶子:『41歳からの哲学』:p17)
この言い方はともすると誤解を孕むが、彼女のこの考え方は、自分自身の存在を考え抜くことでたどり着いたものであって、凡人が突っ込みをいれられるよなものではない。定義なのである。
続きを読む
悪党的
中沢新一の、見開き2ページの連載を読むため(だけ)に「ダカーポ」2007・03・07を購入。連載第2回目のお題は「悪党的思考の運用」である。"悪党的"という語彙は、私のブログでは日常的に使われているものだ。
その意味するところも含めて、今回の中沢新一のテクストを読んでいただければ、建設業のIT化を考えてきた私が、なぜ中沢新一という宗教学者(というか今は人類学者らしい)をリスペクトするようになったのかが、(たぶん)わかっていただけるのではないかと思う。
続きを読む
午前6時30分起床。浅草は快晴されど北風強し。
私の体調はといえば、熱は下がり始めたが、身体のすべてがギクシャクしてかみ合っていない感じ、とでも言えばよいだろうか。つまりまだ調子は悪い。
黒川紀章
黒川紀章氏が東京都知事選に出馬するとのニュースを見て、うちにある唯一の黒川紀章(訳)を引っ張り出す。J・ジェコブスの『アメリカ大都市の死と生』だ。
|
アメリカ大都市の死と生
J・ジェコブス(著)
黒川紀章(訳)
1977年3月1日
鹿島出版会
2310円(税込)
|
続きを読む