私ってなに?
これを露出させる問いは「なぜ私はアナタではない私なのか」や「なぜここが他ならにここであるのか」である。
それは〈私〉や〈ここ〉の根源的未規定性を露呈させる。それは〈私〉や〈ここ〉が入替不能である理由の、その未規定さの露呈である。
桃知利男の浅草的ブログ
これを露出させる問いは「なぜ私はアナタではない私なのか」や「なぜここが他ならにここであるのか」である。
それは〈私〉や〈ここ〉の根源的未規定性を露呈させる。それは〈私〉や〈ここ〉が入替不能である理由の、その未規定さの露呈である。
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格差社会の結末 富裕層の傲慢・貧困層の怠慢 |
下町に住んでいて、本格的な長崎ちゃんぽんを食べようとしても、それはなかなかに難しい。
浅草の中華料理店にあるちゃんぽんは、チャンポンではあるがちゃんぽんではないという、じつに愛おしき哲学的なものなのだ。
たとえばこんな感じなのだ。
http://www.momoti.com/myself/self060101.htm#060112
セクシャルなことのメタファーに満ちた暮らしが、日本人にとってふつうのことだったのかもしれません。(三砂ちずる:『オニババ化する女たち』:p167)
図:ロラン・バルト:『表徴の帝国』:p53
酸辣湯麺(スーラータンメン)は好きだけれども、ここの酸辣湯麺は好き嫌いが分かれるだろう(というかこのお店自体の好き嫌いだろうな)。
その姿はおしゃれであり、それは経営が万豚記をやっているところと同じなので納得したけれど、味的にはどこか中途半端で、辛くて酸っぱいの酸味が足りない。レンゲ一杯程のお酢を加えると(あたしは)丁度よかった。
このサイトをブログ化したことに伴って起きた迷惑のひとつがトラックバックスパムで、先に「トラックバックスパム対策‐日本を含まないTrackbackPingをはじくようなプラグイン」を導入してはいた。
午前6時45分起床。浅草は雨。
じつはこの投稿は、06年11月12日に書いている。というのは、この日、新たしいカテゴリをつくったので、9月18日の「店主戯言」を、そちらへカテゴリ移動させてしまったからだ。
カテゴリをダブらせるという手法もあるのだが、私の運用ポリシーとして1エントリー1カテゴリで運用することにしている。(タブは複数つけてもかまわない)。そんな私のルールなんかどうでもいい、とえばそうなのだが、そうでもないのである。
そこで、今、新しい店主戯言を書いている。店主戯言の条件は、起床時刻と目覚めた場所、そしてそのときの天候さえ書いてあればよい、というのが私のルールなので、そんな日記をみかけたら、これと同じような理由の産物だと理解していただければと思う。